ゲスで怠惰なブログ

ゲスな私が日々考えたことを書いてみます

批判と誹謗中傷は区別することには意義がある

けんすうさんの批判にまつわるnoteを読んで,いろいろ考えることがあったのでブログにしました

 

参考にしたnote

誹謗中傷かどうかよりも、批判の量のほうが問題じゃないかなという話|けんすう

誹謗中傷か批判かは受け手のダメージとは関係ないよ、という話

 

批判の量が多すぎるのはつらいは正しい

受け手にとってはいくら「正しい批判」であったとしても,あまりに量が多すぎるとつらくなる,ということは真実だと思います。自分に否があることが分かっても,あまりに多いと「そこまで言われるほど自分は悪いのか?」と思ってしうのが普通の人間でしょう。

 

そして,その批判の量がどのくらいなら適量であるのかは人によって違うという点も正しいと思います。

 

自分が,おや?と思うのは

誹謗中傷と批判を分ける意味があまりない

結論からいうと、「誹謗中傷と批判をわけてちゃんと考えよう。」みたいな言論を最近良く見ますが、これはあまり問題の解決にならないと思います。

 ここです。

 

受け手にとって批判でも量が多いのはつらい,でも分ける意味があまりないはさすがに乱暴ではないかと思っています。

誹謗中傷はしてはいけないという姿勢は意味がない?

私はここがどうしても引っかかります。

なぜなら,自分にとってやり取りしていて嫌だと思ったランキングは

 

  1. 自分の発言を間違って解釈して批判,誹謗中傷してくる
  2. いわゆる誹謗中傷
  3. 自分ルールによる厳しい追及
  4. 正しい批判

 

だからです。

言ってもないこと言ったとして,悪者に仕立て上げられたら悔しいし,「死んだほうが良い」「消えろ」などの言葉は怖いですよね。

たしかに,痛いとこ突かれる正しい批判はきついです。でも,批判のうえに言われなき批判や誹謗中傷が来たら,こちらがトドメの一撃になるときもあるのではないでしょうか?

正しい批判は予防できる

また,正しい批判に限るのであれば,こちらの言動によってある程度コントロールすることは可能だと考えられます。

 

  • 犯罪自慢しない
  • 人を馬鹿にしない
  • いつか露見する嘘はつかない
  • デリケートな話題には細心の注意を

 

こういったことを気をつけているのにも関わらず,「正しい批判」が大量にくることこそ極めて稀ではないのでしょうか?

 

また,気を付けていてもちょっとした油断で批判が大量にくることもあるでしょう。そういったときも,「自分が悪いところは素直に認める」これだけで,批判のわんこそば状態を防ぐことができます。

 

気配りしたくない,悪いところも認めない,でも正しい批判がいっぱいきたら精神的にまじきつい,それでもやっぱりSNS使いたい!

 

これはちょっと人として勝手すぎやしませんか?

 

好き勝手したいけど,正しい批判でもいっぱい来ちゃうと傷ついちゃう。そういった人はFacebookの優しい森に行けばいいのではないでしょうか?

 

参考

 

勝手な解釈と誹謗中傷はコントロールしにくい

逆に日本語を正しく読めない人は,いくら注意しても読めません。あえて,解釈をずらして論破してやるという人もいます。そういう勝手な解釈には,こちらが丁寧に言葉を選んでも変わりません。

 

また,平気で「氏ね」などの誹謗中傷する人も,倫理観が少々壊れている可能性が高いです。そういった人は,反省しても謝っても攻撃してきます。正直コントロール不可能です。

 

つまりは,正しくない批判と誹謗中傷はこちらがいくら努力してもどうにもならないんですよ。

 

リアリティショーが発端となり,誹謗中傷が溢れてしまったあの事件も,もうご本人の力ではどうにもならないところまで燃え上がってしまったのかもしれません。

 

批判しないで,でもやらかしたいはさすがにクソ

批判の量が多すぎるということはあるのかもしれません。

 

そして,誹謗中傷よりも正しい批判のほうが胸に刺さるときもあるでしょう。

 

だからといって,やらかしたことが事実であるなら「罪に対して批判の量が多すぎる」と自己判断するのは危険だと思います。これを繰り返していたら,気にする人はどんどん気にして,気にしない人はどんどんのさばっていく気がするんです。

 

正しい批判に限るのであれば,やらかした側の努力でコントロール可能です。批判されにくい場を選ぶこともできます。やらかしたい,でも批判されたくないが許される都合の良い場所なんてこの世にないんですよ。私個人の意見では,そんな場所作ろうともしてほしくないです。

 

 誹謗中傷をしないようにしようよ

 

まあなんていうか,批判だって数がくればきついのは分かるんだけど,誹謗中傷をしないようにするという動きも大事だと思います。

 

そういう動きは,めぐりめぐってヒドイ言動をすることを抑止し,そもそも「正しい批判」が起きにくくなるんじゃないかな?とも思います。

 

「正しい批判がくるのは精神的にきつい,ときには誹謗中傷よりきつい」

 

だからといって,誹謗中傷との区別に意義がないわけじゃない。私はそう思います。

 

反対意見などあったら遠慮なくお願いしたいです。

 

おわり