ゲスで怠惰なブログ

ゲスな私が日々考えたことを書いてみます

はあちゅうnoteから学ぶキャリアと育児

もう有料になってしまうかもしれないけど、以下のはあちゅうnoteに対する感想を書きたい

note.com

上記のあらすじは

  • 楽しそうに見える公園遊びは決して楽しくない
  • ママ友とのおしゃべりはリサーチであり仕事みたいなもの
  • 子連れのお出かけじゃリフレッシュできない、トラックドライバーをドライブできていいな、とは言わないでしょう?
  • 社会は家事育児を社会参加とみなさない
  • 自分もそう思っている→!?
  • 社会変われ

というもの。

子どもと遊んでいるからといって楽しいだけじゃない、楽していると思うなよ」みたいなことは自分だって思うときがあるし、子がいる親たちとしてキャリアをどうするのかは、悩みの種としてメジャーなもの。

だから、子どもとの時間が苦痛であり、社会に置いてけぼりにされたほうに感じるとき、思わず「イイネ!」を押したくなることも理解できる。

ただ、よーく読んでみてほしい。一見そういう悩みやジレンマに寄り添った内容のものに読めるけど、そうでもないから

「くつろぎながらスマホをいじる女性」の写真

今リサーチ中でぇぇす

そうだよね、分かるよポイントがあるのは事実

このnoteをはじめ、はあちゅうさんが発信する内容には、きちんと読者の共感を捉える部分があるにはある。

子どもと公園行くのは楽しいだけじゃないし、子連れママ友ランチは完璧な休憩タイムではないなんて育児世代にとっては当たり前のこと。

子どもとヘトヘトになって出かけてきて「楽しそうで良かったね!(悪気なし)」と言われてイラついたなんてのも、ママ友同士の愚痴としてあるあるなんですよね。

だから「分かる~~!」「共感~~~!」「言語化ありがとうございます~~~!!」「涙止まらない~~!!」が湧くのも、理解できなくはない。

はあちゅう構文1】でも共感ほしすぎて(?)盛る

そこまではまぁ分かる。でも、はあちゅう構文としてあるあるなんだが、そこから盛るのである。

このnoteでも、「ママ友との会話はリサーチで仕事」「子育てという任務に必要な情報収集時間」とまで言っちゃっている。

いやね、そういう部分もあるんですよ。

「〇〇保育園、大量辞職の謎」「この幼稚園がヤバイ2023」「荒れている公立小学校○選」みたいな情報はネットにはなく、ママ友からの生きた情報がすごく役立つこともある。

でも、経験者なら分かると思うんだけど、ママ友と約束して合うのは「リサーチ」だけじゃないよね。

普通に気晴らしになるし、くだらないこと話して大笑いして、あー楽しかった、夕飯作りがんばろ!って、リフレッシュにもなるんですよ。

それに、育児ってそういうものでいいと思っています。

実生活であれ、ネットであれ、旦那の愚痴や育児の大変さを吐露してみたり、くだらない言葉をやり取りしてみたり、精神的な休憩は絶対に必要です。

それを「リサーチ」って無理やり業務にするのは、自分で自分を縛ることにもなると思います。

はあちゅうnoteだけではなく、X(旧ツイッター)での育児垢でもよく見られますが、大変さを分かってもらいたいあまりに、大げさに大変さをアピールし、逆にそこに対して揚げ足をとられてしまうという悪循環が起きています。

専業主婦だって、家計に問題ないなら2000円のランチ食べたっていいし、昼寝したっていいし、ママ友とダラダラしゃべってたっていいじゃないですか。それに遊ぶ約束した相手が「あぁ今日はリサーチ業務だ」とか思ってたら寂しいじゃないですか。

なんだか、そうじゃないんだ、大変なんだ、にすると自分自身の首を締めてしまうように思えます。

いやほんと小さい子どもがいたら、どこ出かけても完璧な休憩になんかならないけど、それなら一時保育とかファミサポ活用して、なんとかひとり時間作って休みましょう。

はあちゅうさんnoteみたいに育児はずっと業務アピールしちゃうと、そういうことしにくくなっちゃうと思うんです。

育児は自分の裁量で休憩できる業務です。社会が「育児はすべて大変だよね」「苦労だよね」って認めて何になるんだろうか。あえて社会問題にするなら、主婦(主夫)が休憩して何が悪い?それしないとやってけねぇのよ。という風潮のほうが必要だと思う。

はあちゅう構文2】社会問題にするとこズレてる

そうそう、はあちゅう構文あるあるとしてもう一つあるのが、それ社会問題にして何になるの?っていうもの。

今回のnoteでは、「育児はすべて業務」のほかに「育児でキャリアを手放していると思ってほしくない」「育児でキャリアを手放さない社会構造になってほしい」というものがある。

育児世代の親にとって、キャリアとの両立はすごく悩ましいことで、悩みとしてかなりメジャーなことだと思う。だからこちらも、分かる~~~!ゲンゴカアリガトウ~!!が湧くのは理解できる。

でもよく考えてほしい。はあちゅうさんが主張しているのは「出産や育児があるからってキャリアを手放しているとは思ってほしくない」という点である。

ぶっちゃけ、はあちゅうさんみたいな仕事は、むしろ出産育児が発信のネタとなるので、世間の親世代が悩む子育てと仕事の両立とはまったくの別物です。

実際、彼女のインスタのネタのほとんどが「旦那と子ども」で、はあちゅうさんは出産育児により、むしろ新しいキャリアを積むことができているとも言える。

だから彼女の主張の第一としてくるのは、キャリアを手放しているとは「思ってほしくない」という他者からの目線についてなんだと思う。

でも育児とキャリアに悩む人達にとっては、どう思われるかなんていうよりも「子どもがいるから残業ができずに昇進ができない」「出張どうする?」「休みがちで迷惑をかけてしまう」といった切実なもの。

はあちゅうさんが唱える社会になったとして、そういうのは絶対解決しないでしょ。いるのかいないのか分からないDM言語化感謝勢はそういうとこよく読んでみてほしい。

引退したと思われてるのは出産が原因ではないと思うよ

そもそもだけどさ、出産・育児、それにまつわる男への愚痴をこねくりまわして発信しているのに、引退したと思われてるのは話題にならなかったからでしょ。

作家を自称するものが、作品の感想にまで開示請求して大騒ぎして、結果「名前を言ってはいけないあの人」になってしまって。今や場末の情報商材屋に「元祖インフルエンサー」としてちょっとチヤホヤされるレベルにくらいしか話題にならない。

ほかの作家のように、出産や育児をキャリアとして昇華できなかった自分の力不足をシレっと社会のせいにしてるので、社会が変わったところではあちゅうさんのキャリアが磨かれることはないだろうね。

はあちゅう構文3】共感しているようで下に見ている

このnoteで私が一番醜悪だと感じたのは、ここです

それは、私がシングルマザーで家計を担っているからだけではなくて、仕事が好きだし、社会においての自分の評価は「仕事」で決まると知っているから。

さんざん「育児時間は業務だ、認めて」と言いつつ、はあちゅうさん自身は仕事をしていない専業主婦をすごく下に見ている。

このnoteの流れからすると、「社会においての自分の評価は「仕事」だけでは決まらない、それを支えてくれる人の価値も認められるべきだ。」みたいな感じにすれば、まぁ綺麗におさまる。

しかし、自分自身が問題だとしている価値観に沿って生きていることをここで吐露してしまう。家事育児を認めてほしいとしながら、自分が一番認めていないんだと思う。だからこそ、「育児は仕事」だと判定してほしいし、認めてほしい。でも本当に育児は仕事だなんて思っちゃいない。価値を自分自身が認められていない。

はあちゅうさんの醜悪な部分はもうひとつある。

それは「社会の主張だ」として自分が悪くないように持っていき、自分が変わるのではなく「社会が変われば解決する」としている部分である。

自分は「育児は仕事と言いつつも、実はそうは思っていない」ということだけでも醜悪だと思うのに、さらにそれを「社会の主張」として自分のことはシレっと聖人にもっていこうとする、醜悪の二重塗り状態なのである。

このnoteを読んで「言語化ありがとう」なんてのんきなこと言っている人は、よく読んでほしい。はあちゅうさんは育児しかしていない人は価値がないと思っているし、それを人に言わせて自分の醜悪さを隠し、アンタたちの共感を得ようとしているのに過ぎない。

はあちゅうnoteから学ぶキャリアと育児

正直、このnoteだけでも彼女のキャリアと育児に対する解像度の低さがよく分かる。たぶん、どっちにも真摯に向き合ってないから。

育児で大変なことはたくさんあるけれど、はあちゅうさんが大変だ大変だと騒ぐのはいつも「自分のタスクが増えるとき」「自分の予定が変わるとき」「一見大変そうに見えないけど実は大変なとき」

上記は実際大変なことではあるので一時的な共感は得られるけれど、もっと大変なことつらいことってあると思う。そこに触れずに、あーしが大変!!とばかり騒いでいるから、読者としては共感できないこともないけどソコ?とモヤモヤしてしまう。

キャリアにしても、人生コンテンツで夫と子どもを毎日のようにネタにしているのに、子どものせいでキャリアが…と育児二毛作を企てている。育児によるキャリア分断がどうも中途半端で切実観がなく、自分のオワコンを子どものせいにしているだけにしか見えない。

育児も仕事も実際に体験しているものなはずなのに、どうもどこか他人事でネットで聞きかじった情報をつなぎ合わせているようにしか読めない。言うならばとにかく薄っぺらい。

キャリアと育児の両立は難しいかもしれないが、どちらに対しても自分の都合に合わせて表面上だけ対応していると、得られるものも得られないのかもしれない。はあちゅうnoteから学べることは、これくらいだと思う。