ゲスで怠惰なブログ

ゲスな私が日々考えたことを書いてみます

すべてのこどもの健康的な生活を願わずにはいられない

自分のこどもには命には関わらないし、そのままでもなんとか生活はしていけるけれど、手術したほうがいい病気があります。手術が成功すればおそらく再発もなく、予後もいいらしいです。

ただ、珍しいっちゃ珍しい病気で、診てくれるお医者さんはかなり少なく、大きなこども専門病院に行くことになりました。そこは紹介状がないと診てもらえないし、気軽に受診もできないような専門性が高い病院です。

そんな病院でただいま手術待ちの入院中です。

通院しているときから、いろいろと思うことはあったのですが、入院してみるとダイレクトに自分に伝わるものがあり、文章として吐き出したくなってしまいました。

病はこどもにだって容赦ない

重い病気や珍しい症例の子ばかりを受け入れている病院であるため、周りを見回せばストレッチャーに乗っている肢体不自由児、酸素ボンベを積んだ車いすの子、髪の毛が抜け落ちている子などがたくさんいます。

本当に小さい子がよちよち歩きながら、大量の荷物を持ったお母さんに連れられて入院窓口へ向かっていくところを見るのも一度や二度じゃありません。

病気の子がいるってことはわかっていたはずなのに、世の中にはこんなに病気の子がたくさんいたのか?と驚くような受け入れがたいような何とも言えない気持ちがしたものです。

当たり前なんだけど、病気はこどもだから軽くしてやるなんてことはなく、不平等に子供に災難を与えています。

こども病院はとてもやさしい

こども専門で重症患者、重度の障害、珍しい疾患(うちはこれ)しか受け入れない病院では、やってくるこどもたちの大半はいろいろなつらい気持ちと共に生きています。

そんなこども達をまるごと受け入れるかのように、病院すべてがやさしいのです。

病院内は優しい色彩のかわいらしい絵や飾りで彩られ、売店にはおもちゃやこども向け雑誌がかなり充実している(こども向け雑誌のスペースは大人向け雑誌の倍)。

レントゲンやMRI、CTを撮る場所はテーマパークなんじゃないか?ってくらい派手に装飾されていて、こどもが恐怖心を感じないようにする工夫が本当にすごい。

普通の総合病院にはないこどもに対する丁寧な心遣いが、細部にまで行きわたっていることを感じます。本当にいい病院。

それだけではなく、看護師さんお医者さん技師の方々、ボランティアの方々も漏れなくみんなやさしい。

病院全体がとにかくやさしいな、とずっと思っていた。

 

そして今回、この病院では初の入院なのですが、我が家はちょっと遠方であるため、患者家族のための宿泊施設にお世話になっております。

この宿泊施設もとにかくやさしいのだ。

ボランティアの方々で運営されていて、つまりみんな無報酬であるにも関わらず、過不足ないやさしさを私たちにくれています。

「いってらっしゃい、気を付けてね」「おかえりなさい、疲れたでしょう?」

状況が状況なだけに、そんな言葉が心にシミシミなんですよ。

施設内の備品は豊富で、洗濯洗剤や無料で食べられるカップ麺や缶詰なども豊富にあります。

これらはすべて寄付らしいです。今や手に入りにくい、マスクやハンドソープなども箱単位で寄付があるそうです。本当ありがたいですね。

もう病院から宿泊施設まで、取り巻く状況がこども目線でやさしくて、ありがたいことばかりです。

うれしいけど悲しい

そんな病院は病院周辺のやさしさに触れるたびに、嬉しさやありがたさを感じるんですが、同時になにか涙が出そうになるような思いもあります。

だって、そのやさしさはどうにもならないこどもや家族のつらさを和らげるためだから。

そして、こんなことを感じるのは、うちの場合はこのなかでは軽症で余裕があるからなんでしょう。

多分、こどもの病気や疾患によっては、私よりももっと必死で、こんな呑気なこと思っていられないはずだと思います。

院内を歩けばそこここに「院内学校」「緩和ケア」「重度障碍児のための施設」「患者と家族の心のケア」「きょうだい児のためのケア」などといったパンフレットが置いてあり、ふとした瞬間に本人や家族の大変さを思わずにはいられない。

自分ができることってなんもないし、当事者にとっては大変さを思われても「だから?」って感じなのも分かっている。でも思わずにはいられないんです。

どうか元気で

みんな大変な境遇なことは変えられない事実です。テレビみたいに「奇跡からの生還」もなければ「誰かを感動させるようなこと」もありません。

ただただ、つらさに耐えて、手術を受けて、入院して…。その繰り返しです。

配属された看護師さんの名前とよく働いている時間をすべて覚えちゃううくらい長く入院する子もいます。

おうちに帰れないまま最後を迎える子も。

新型コロナが流行っている今、兄弟面会もなくなりました。兄弟と何か月も会えない患児もたくさんいます。

緊急事態宣言のときは、親でさえ大幅に面会制限されました。

もう病気っていうだけで十分なくらいつらい思いをしている子たちが、新型コロナのせいで本来ならしなくてもいいつらい思いも追加でしています。

どうか、少しでもつらさが少なくなってほしい。

家族や友達と会えるようになってほしい。

そう思わずにはいられませんでした。

私たちが少しでも支援できること

医療資格を持たない私たちは大きなことはできませんが、小さなことはできます。

病院や関連施設への寄付、病院ボランティア、そして患児やその家族に感染症をうつさないこと。

病院によっては、小児科病棟のおもちゃはボロボロで、DVDは擦り切れていて何度も停止するなんてこともあります。寄付大事です。

通院や入院で身体的、精神的、金銭的に疲弊している患児やその家族を支援するボランティアはとても重要です。

そして感染症対策。軽い風邪や胃腸炎でも家族が感染すれば、面会に行けなくなりますし、無症状感染で患児にうつしてしまったら命に係わります。

重症の子たちを目にすることはそう何度もないとは思いますが、その家族や兄弟、兄弟と同じ小学校、保育園、幼稚園に通っている子、その親、看護師、医師、ボランティア…

病気の子たちとつながっている人はそこらじゅうにたくさんいます。

感染症対策だって立派な支援だ、と私は考えています。

こどもたちにつらい思いのおかわりをさせないために。

 

すべてのこどもに、少しでも健康的な生活を送ってほしい、そう思わずにはいられない日が続いたため、吐き出しました。